2010年2月27日土曜日

「激論!凋落日本と若手企業家の成長戦略」のメモ。

昨日の朝まで生テレビが結構面白かったので、覚えているうちにメモしておきます。


「激論!凋落日本と若手企業家の成長戦略」

http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/

記憶の限りメモすると以下のような感じ。


〇不況こそが新陳代謝を促す


不況の時こそ新たなビジネスが生まれる。アニマルスピリット(本能)に従い行動すべき。(シュンペーター)


〇働くとは何か


働くことに意味を見いだすべきか否かで意見真っ二つ。就活の現状(数十社受けるのが当たり前)から言って難しいという意見も。若者は仕事を選び過ぎという意見には納得。とりあえず働くならガムシャラに働けということか・・・。



〇ビジネスモデルの転換の必要性


日本の家電メーカーがグローバルで存在感がないように、日本がモノ作り大国というのはもはや幻想。アジアでも同じ品質で作れる。アップルがI podのユーザーをI tunesで囲い込んでいるように、日本企業はビジネスモデルを構想する立場をとらなければならない。モノ作りだけでは勝てない。この辺りの議論は、イノベーションのジレンマが参考になる。

要約は、http://satoshi.blogs.com/life/2005/11/post_2.htmlのブログが分かりやすい。



〇イノベーションを規制するな。(Youtubeとウィニーの比較から)


成長はイノベーションによってのみ可能となる。Youtubeとウィニーは法律的には前者の方が明らかに黒であるのに、前者は今やドル箱となり、後者は、グレーなのに京都府警の勝手な正義感?により捕まってしまった。これは、アメリカと日本の法律、風土に依拠する。アメリカは新しい技術、イノベーションに対して寛容。日本は年寄りが本質を理解しないまま、古い価値観で規制する。ホリエモンの逮捕からも分かるように、出る杭の足を引っ張る社会。アメリカのように寛容になるべき。イノベーションの邪魔をしてはならない。



〇イノベーションは規制せず、競争させるが、セーフティネットをしっかり作るべき。


上記のように、政治的に規制せず競争を促すが、セーフティネットを強化し、失敗したときに立ち直れる社会を作らなければならない。東氏の『バブルがはじけても人が死ななきゃいい。』という発言は言い得て妙である。バブルがはじけるのを恐れて規制すればイノベーションは生まれない。小泉政権の自由主義が悪かったというより、セーフティネットの強化が甘かったのが問題であるという意見も。逆に民主党は規制し過ぎか。セーフティネットに関して、現在議論されているのが、べーシックインカムである。

ベーシックインカムとは、簡単に言うと、最低限所得保障の一種で、政府が全ての国民に対して毎月最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金(5-8万円程度)を無条件で支給するという構想である。

下記ブログも参考になる。




これくらいしか覚えてない。。最初の方と途中一部見てないので、もし、見てた方は重要なところがあれば教えて下さい。

2010年2月26日金曜日

書評:『ブランド 価値の創造』

本書は、ブランド価値とは何かを明らかにしようとしている。ブランドのはじまりを問い直すことからはじめて、「ブランドという名前がどうして価値を持つようになるのか」のメカニズムに迫りその帰結を明らかにしている。


従来の考えでは、(1)消費者の欲望(ニーズ)がブランドを作るという考えと(2)マーケッターの思いがブランドを作る。という考え方がある。しかし、本書では、そのいずれでもない。消費者の欲望(ニーズ)なしに長期間売れ続けるブランドには成りえないが、企業側にブランドとして育てるという意志なしにブランドが生まれることはありえない。それに、新ブランドに投資する意思決定を考えると、必ずしも確かな基盤を持った意思決定ではない。ブランドの命名の際には、恣意性や偶然性が働くからである。そのような観点から、ブランドの今ある現実は、消費者の欲望にもメーカー側の思いにも、どちらにも還元しつくせない何かにあるという立場を取る。


その何かを理解するには、「創造的適応」という考え方が重要である。本書では、製品の分類を技術軸と使用機能軸のマトリクスで分類しているが、例えば、無印良品を考えれば、技術軸でも使用機能軸にも何か具体的な指示対象があるわけではないが、無印良品は存在している。それは、他のいかなる言葉へも代替が効かない「創造された意味」に他ならない。すなわち、ブランドの本質は、ブランドだけがそのブランドの現実を説明できる自己言及性のうちにある。


この創造された意味世界そのものを支える根拠が無くても、ブランドはそれなりの構造をつくり意味世界を持続させる。ブランドの構造は、以下の3段のピラミッドで表される。


(1)最上部に「ブランドアイデンティティ=普遍的統一性」がある。それは、包括性と差異性という要件を持つ。また、それは意図的に露出され得ないものである。

(2)中段に「コードとスタイル」があり、把握できないブランド価値を最下段の目に見えて触ることのできるブランドメディアにつなぐ役割をもつ。

(3)最下段に「可視的メディア」があり、ポジショニング、コンセプト、製品、広告テーマターゲットであり、コードやスタイルの具体的な表現形である。また、競争者が変わればポジショニングを変えたり、環境の変化にも対応する。


すなわち、ブランドは、その価値(コードやスタイル)に相応しい環境を選びつつ、それに適応する。その一方で、ブランドの核心部分のコードやスタイルも変更することでブランドとしての適応力を拡大する。これが創造的適応である。


こうした「創造的適応」は、非常にダイナミックな性格を持ち、ブランドは、名前が自立した後、使用機能・技術を横断するスタイルの記述名へ、スタイルを横断するフィロソフィの記述名へと展開し、複数のフィロソフィを横断する何かへと発展する。

このようなブランドの価値は、新たな世界をその領分に包摂するごとに、新しい価値が同時的に構成される性格を持ち、「ブランドの命がけの跳躍」として描かれている。


最終章では、そんなブランドがもたらす帰結が述べられている。識別効果と知名、理解効果、新しい消費欲望の生成は一般的なマーケティングのテキストで述べられているが、争点(選択ルール)選択効果は、独特な視点である。


それは、ブランドを選択することが、市場における買い物の選択ルールを選んでしまうということになるという効果である。例えば、高品質、多機能なテレビが発売されたとする。しかし、それを発売したメーカーが有名ブランドメーカーか、そうでないかによって消費者の選択は変わってくる。このことは、消費者が有名ブランドを選んだときには、そこから商品を選択する商品の代案集合、あるいは、その集合から選択するためのルール、つまり買い物のスタイルをも同時に選んでいるということになる。


また、争点効果は買い物の場だけに留まらない。消費者がメッセージ性豊かなブランドを選ぶとき、意識できなくても、自らのライフスタイルを変更する可能性を選んでいるというのである。このことは、ディドロ効果と表現されている。


そして、本書が示唆していることは、従来のマーケティングの枠組みは、価値通路モデル* の理解の上に成り立っていたために、静学的な理解に留まらざるを得なかったという反省と、マーケティングの現実を理解する上で、メディアとメッセージが交錯しあう中で歴史が切り開かれるという動態的な視点を持つことの重要性である。



*伝統的なコミュニケーションモデルを表し、発信者の意図するメッセージが確かなメディアを経て受信者に伝わるという一方向のモデルである。

2010年2月25日木曜日

トヨタのリコールに関して。

先程、トヨタ社長の公聴会と米国の社員に対してのスピーチを見た。涙ぐみながら社員に訴えかける様子を見て、個人的には誠意を感じられたのだが、世間で言われているように、対応が遅すぎたのが、ここまで問題を大きくしたのだろう。


不祥事に対する対応、企業の社会的責任に関して、経営学のテキストなどで耳タコなのが、ジョンソン&ジョンソン(J&J)のタイレノール事件である。


1982年、シカゴで、シアン化合物によって死亡した7人の市民が直前にタイレノールを服用していたことが発表された。タイレノールは当時、米国では国民薬と言われるほど普及しており、この発表により米国民は大きな不安に陥った。この時点では、タイレノールにシアン化合物混入の疑いがあるだけで、死亡原因かどうかは不明だった。


しかし、J&Jは、即対応した。当時の会長は、タイレノールを飲まないように警告を促し、製品を全回収に踏み切ったのである。加えて、メディアを通して、自社は、利益を第一に考えるのでなく、消費者の命を第一に考えていると訴え、新しい商品との引き換えも行った。この時の回収費用は、1億ドル以上とも言われている。迅速な対応の結果、半年後には、売り上げの90%を回復し、メディアにも賞賛され、現在もビジョナリーカンパニーとして存続している。


このような、迅速な対応を可能にしたのは、「消費者の命を守る」ことを謳ったOur Credo(我が信条)という経営理念(哲学)があり、全役員、全社員に徹底されていたため、緊急時対応方針を決めるのに時間がかからなかった。


トヨタもこの事例に倣うべきであった。米国のリコール問題は、米国の運転者の技術の問題、現地部品メーカーの品質、政治的なバッシングなど、受け入れ難いものだったのかもしれない。しかし、北米は重要なマーケットであり、JJのように迅速に対応し、誠意を見せれば、消費者からの信頼はより深くなり、長期的には利益になったはずである。


トヨタの理念を見てみると、「モノづくり、車づくりを通して、皆様とともに豊かな社会創りを」らしい。これを実践するための基本理念は、7つあるが、そのうちの1つに、「内外の法およびその精神を遵守し、オープンでフェアな企業活動を通じて国際社会から信頼される企業市民を目指す」とあるが、それらが、もっと具体的に表され、全社員の絶対的な行動指針になっていれば、対応は変わるはずである。


加えて、トヨタが迅速な対応を出来なかった背景として、米国法人に意思決定の権限が無かったことが挙げられていた。つまり、組織構造にも大きな問題があったということである。トップダウン型の組織構造からボトムアップ型の組織構造への転換が求められている時代に、全ての権限を本社に残し、米国法人をあたかも日本の支社のように扱っていたのだ。これでは、米国消費者に対して迅速な対応は困難である。


卒論でIntegrated Marketing CommunicationIMC)の展望を書いた際にも、消費者との対話型コミュニケーション実現に、縦割りの組織構造は大きな問題点であったが、それと同じである。


このトヨタの事例に関しては、『ビジョナリーカンパニー』が示唆に富んでいる。この本では、100年単位にわたって利益を上げ続け成長している企業を調査し、その原則をまとめたものである。その1部を紹介すると以下のようなものがある。




  • 利益を最大限に増やすことより、基本的価値観、理念の方が大切である。
  • 基本的価値観は、内容そのものより一貫して実践されることに意味がある。
  • 基本理念は変えずそれ以外の全てを巧みに変化させる。


トヨタがこの先、永続する「ビジョナリーカンパニー」になれるかどうかは、素晴らしい製品を生み出すこと以上に、基本的価値観、理念を大事にし、それ以外の全て(特に組織構造)を変化させることなのではないだろうか。

2010年2月2日火曜日

日本対ベネズエラを振り返って。

年内初戦の国際Aマッチのベネズエラ戦の感想を。

正直、つまらんし、何も進歩を感じられないというのが正直なところ。

中盤で横に回して、サイドまでボールを運ぶ。サイドは後ろに戻すか、中に戻す。サイドからクロスを上げたところで、日本のFWは低くて点にはならない。結局のところ、思い切って縦パス入れたり、ドリブルでつっかけたりといった縦にリスクを冒さないと点にはならないのだと思う。正直、サイドが縦につっかけたり、思い切った縦パスを入れたりするシーンが思い浮かばない。縦にいくからこそ、横パスも相手を崩すのに効果的に作用する。

スペインを始めとした強豪チームは、ゴールを取ることを目的に、縦と横で揺さぶりながら効果的にパスを回している。パス回しは、単なる手段に過ぎない。パス回しもすれば、要所要所でドリブルでリスクを冒す。日本の場合、中盤、中盤と持ち上げられているからか、中盤でのパス回しが目的になっている。

岡田のコンセプトは、接近、連続、展開である。そもそも、このコンセプト自体が日本語としてよく意味が分からないが、中盤で接近(というか密集)してパスを回し、サイドに苦し紛れに展開して中に戻す。それを繰り返し連続しているので、ある意味コンセプトを体現していると言える。(笑)

もう、岡田JAPANというか、岡田には、何も期待していないので、W杯では、思い切った策を見せて欲しい。W杯だって、優勝する1チーム以外は、全チームどこかで負けるのだ。それなら、日本の敗退がグループリーグであっても、日本は手強いと思わせるような印象に残る負け方をして欲しい。


今回のベネズエラ戦の後半に、僅かながら、そのヒントがあったように思う。

それは、平山の投入である。平山のプレーが良かったというわけではないが、あのデカさは、いるだけで迫力があった。前線に平山が居座ることで、ある程度ボールが収まるし、マークが集中する。その周りを、岡田が大好きな岡崎や大久保が動きまわることで、後半の方が前線に迫力があったように思う。

結局、イタリアでフェラーリのようだと称される爆発的なスピードの森本、身長190㎝の日本人離れしたハイタワーの平山、爆発的なシュート力を持つ本田△をストライカーとして前線に置き(本田△はシャドーストライカー)、相手に威圧感を与えるしか、W杯で何かを起こす可能性は限りなく低いのではないか。

個人的には、W杯では相手とのパワーバランスを考えると、守備の時間が長くなると思うので、森本を前線に張らせて、カウンターで裏を取って一発で沈めるというのが一番イメージが湧く。セリエAで、ミランやローマのバックラインを困らせるだけのスピードだ。カメルーンのバックラインなんて、裏を取ることは楽勝なはず。後は、出し手次第。

岡田が一貫して起用し続ける、岡崎、大久保、玉田は、前線に張るストライカーではなく、相手に威圧感を与えない。彼らは下ってきて中盤に組み込まれ、4-6-0のようなフォーメーションになることも珍しくない。確かに、意味のない接近、連続、展開を繰り返すだけには、ちょこまか動いていい選手達だ。しかし、結局のところ、4-6-0には、FWがいないのだから点が入るわけがない。それに、Jリーグで年間10点も決めない選手(大久保、玉田)がW杯で点を取るなんて宝くじが当たるようなものだ。似たようなタイプは岡崎だけにして、縦にアクセントを付けられる選手を入れるべきだ。

と、まぁ、皮肉っぽく書いてきましたが、実は、日本がW杯でグループリーグを突破してくれることを密かに期待していたりするのです。まぁ、世界的には、日本がこのグループを突破したらサプライズでしょうが・・・驚かせてやりましょう。

かなり可能性は低いですが、2006年の歴史から見ても、初戦が全てと言っても過言ではありません。自分の個人的な感覚ですが、グループリーグ突破の可能性は、1番チームとして未熟な初戦のカメルーンに勝利して、30%~40%、引き分けで10%未満、負けで限りなく0に近い。

こんな感じでしょうか。第2戦がオランダなので、初戦に勝てば、オランダ戦は負けても(思い切って捨てることも得策かもしれない)、3戦目のデンマークに引き分け以上で突破できる可能性があるので、勢いに乗って突破ということも大いにあり得るかと。引き分け以下の場合は、オランダでも引き分け、デンマークには勝ちが求められるので、決定力不足の日本には、あまりにも荷が重過ぎます。デンマークから点を取ることは容易ではないはず。そのプレッシャーが2006年の柳沢のような第二のQBKを生み出すかもしれません。

ポジティブに考えるとそれはそれで楽しいことではないでしょうか。いずれにしても、4年に1回のW杯なのだから、楽しみたいものです。