2010年3月30日火曜日
本田圭佑は欧州で成功できるか。
2010年3月20日土曜日
【メモ】ソーシャルメディアの展望:変わるもの、変わらないもの。
最終セッション:ソーシャルメディアの展望:変わるもの、変わらないもの。(19:高広伯彦氏)
- ソーシャルインタラクション(social interaction)=3人以上の関係性。
- 日本人は、ソーシャルインタラクション(social interaction)が大好きである。(居酒屋、ポケモンetc)
- 知っている人の間でのインタラクション→知らない人との間でのインタラクションへ変化。それを可能にするのが、Imagination media,Social media。
- 人との繋がり+サイトとサイト(コンテンツ、サービス)間のインタラクション。
- メディアのRe-configuration=再布置という考え方が重要。新しいメディアが出てきたら、今まであったメディアの地図が書き換わる。その過程はどこに行くのかがわかりづらいから混乱が起こる。つまり、TVが出現した時にラジオの役目が変わったように、twitter,youtube,ustream,I padの出現でTV、ラジオ、新聞の役割が変わる。消えるのでない。
- バジェットアロケーション(予算配分)より、コンテンツアロケーション(コンテンツ配分)が重要。
- 文化に情報技術が埋め込まれてどうなったか。ポケベルは女子高生が持って別のメディアになった。すなわち、コンテンツをどう配置するのかが大事。つながりやすい、共有しやすい、コンテンツ間リンクしやすい、見る人ややる人が楽しみやすいことがソーシャルメディアにおいて重要。
- ソーシャルメディアマーケティングとは、企業のマーケターが消費者の中に入っていき、ソーシャルインタラクションを行うこと。これは今も昔も行われていたこと。本質は変わらない。
- ソーシャルメディア時代の展望:変わるものと変わらないもの→変わるもの:メディアの使い方(Usage of media), 変わらないもの:ソーシャルインタラクション(Social interaction)
非常に勉強になりました。こういう時に、twitterやってて良かったと実感する。
2010年3月4日木曜日
twitterおもしれーって話。
twitterを登録したのは、2009年の7月に遡りますが、周りにユーザーがいなかったことや、140字でつぶやいても特に面白くなかったので放置していました。
しかし、どうやら会員数は増え続け、勢いは留まりそうにない様子であった点と、マーケティングの世界でもこれからは、twitterを始めとするソーシャルメディア抜きには語れそうにないという状況だったので、2月の頭に再開することに。
今となれば、twitterがメインになり、mixiのログイン時間が激減してしまった。使ってみてようやく面白さに気付くことができた。
自分の周りにもユーザーが増えれば、もっと楽しくなるのになーと思いつつ、軽く誘ってみても、あまり食い付きがよくないので、twitterを使うことのメリットを挙げて、布教活動をしようと思う。(twitterユーザーの方は何を分かりきったことをって感じだと思いますが勘弁を)
twitterを使ったことがない人は、mixiボイスやアメーバなうのような、ただの140字でのコミュニケーションと考えているかもしれないけど、それだと本質を見誤るような気がする。
友人とコミュニケーションを取るという機能はもちろん、情報収集ツールとしての使い方と、ブログのような個人ページとしても使える点が大きいと感じます。
まず、情報収集ツールとしての側面ですが、使ってみて感じたのが、情報の量、質、スピードのバランスが既存メディアに比べて優れているということです。
ニュースサイトに加え、経済や政治などのあらゆる分野の有識者達も情報発信をしているので、幅広くフォローすれば、リアルタイムで多くの情報(国内に限らず海外も)が入ってきます。twitterで情報発信している有識者は、ブログを書いている人が大半なので、情報に対する質も担保されます。
それに加え、重要度の高い情報は多くが、リツイート* され広がっていくので、目に留まりやすくなります。情報を広く網羅するだけでなく、深さ、重要度も分かるので、改めて新聞はいらないなと感じるようにすらなりました。
これまでの情報収集の流れだった、検索して探すという方法からtwitterのようなソーシャルメディアのタイムラインから流れてくるという、大きな変化の兆しかもしれません。
googleがgoogle buzzを急に発表したのも、ユーザーの情報収集の変化に危機感を募らせたからだと言われています。確かに、twitterをメインで使うと、明らかに検索回数が減りました。某マーケッターが、テレビCMも「続きはWEBで!!」から「Please follow us!!」に変化するって言ってたのは面白い。(twitterではフォローすればそのアカウントが発信する情報が表示される)
次に、個人ページとしての使い方に関してですが、近年、セルフブランディングという言葉が流行っていますが、セルフブランディングにおいて、WEB上でブログなどの個人ページを持つことは最低限必要であり、WEB上にいなければ存在していないのも同然とすら言われています。
ブログを書くのは少しハードルが高いかもしれませんが、140字のつぶやきをコツコツ重ねることなら誰でも出来るので、セルフブランディングはtwitterから始めるといいかもしれません。つぶやきをブログのように表示してくれるサイトもあり、また、つぶやいていく中で140字以上書きたいテーマがあればブログを書けばいいのではないでしょうか。
最初は知り合いがいなくても、趣味や関心が近い人に話しかけて絡んでいたら、話題も出来るし、フォロワーも増えます。長く続けている方なら、一般人でもフォロワー数が500人~1000人、それ以上もザラにいます。そうなれば、ブログを書いてもそれだけのユーザーに読んでもらえることになるので、自分自身を売り込むマーケティングツールにもなり得るのではないでしょうか。
ある方が、著書の出版記念イベントで、これから個人として必要なのは、ブログとtwitterの併用+USTREAMの習熟であると仰っていました。(USTREAMは、撮影しているビデオをリアルタイムで配信できるサイトで、その出版記念イベントもリアルタイムで2時間視聴できました。僕は、マーケティング関連の有識者、実務家を多くフォローしてるので、こんな情報がtwitter上で毎日のように流れてきます。)
最近は、企業や政治家もどんどん参入していて、マーケティング手法としても注目を集めているので、個人的に、もっとどっぷり浸かろうと思ってます。
ちなみに、余談ですが、有名人もtwitter上なら、何故か絡んでくれたりします。結構無視もされたりしますが。。自分も数年前からずっと読ませてもらってるブロガーの方に絡んだら少し相手してくれたり。。まぁこんな感じで書いてきましたが、実はサッカーに関するつぶやきが1番多いという事実があったりなかったり。趣味の話とかするのも楽しいですよ。
っというわけで、マイミクの方で、twitterやってる。これから始める。って方がいれば、
これが一番の目的っていうことには気にするな^^
* http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%EA%A5%C4%A5%A4%A1%BC%A5%C8
2010年2月27日土曜日
「激論!凋落日本と若手企業家の成長戦略」のメモ。
昨日の朝まで生テレビが結構面白かったので、覚えているうちにメモしておきます。
「激論!凋落日本と若手企業家の成長戦略」
http://www.tv-asahi.co.jp/asanama/
記憶の限りメモすると以下のような感じ。
〇不況こそが新陳代謝を促す
不況の時こそ新たなビジネスが生まれる。アニマルスピリット(本能)に従い行動すべき。(シュンペーター)
〇働くとは何か
働くことに意味を見いだすべきか否かで意見真っ二つ。就活の現状(数十社受けるのが当たり前)から言って難しいという意見も。若者は仕事を選び過ぎという意見には納得。とりあえず働くならガムシャラに働けということか・・・。
〇ビジネスモデルの転換の必要性
日本の家電メーカーがグローバルで存在感がないように、日本がモノ作り大国というのはもはや幻想。アジアでも同じ品質で作れる。アップルがI podのユーザーをI tunesで囲い込んでいるように、日本企業はビジネスモデルを構想する立場をとらなければならない。モノ作りだけでは勝てない。この辺りの議論は、イノベーションのジレンマが参考になる。
要約は、http://satoshi.blogs.com/life/2005/11/post_2.htmlのブログが分かりやすい。
〇イノベーションを規制するな。(Youtubeとウィニーの比較から)
成長はイノベーションによってのみ可能となる。Youtubeとウィニーは法律的には前者の方が明らかに黒であるのに、前者は今やドル箱となり、後者は、グレーなのに京都府警の勝手な正義感?により捕まってしまった。これは、アメリカと日本の法律、風土に依拠する。アメリカは新しい技術、イノベーションに対して寛容。日本は年寄りが本質を理解しないまま、古い価値観で規制する。ホリエモンの逮捕からも分かるように、出る杭の足を引っ張る社会。アメリカのように寛容になるべき。イノベーションの邪魔をしてはならない。
〇イノベーションは規制せず、競争させるが、セーフティネットをしっかり作るべき。
上記のように、政治的に規制せず競争を促すが、セーフティネットを強化し、失敗したときに立ち直れる社会を作らなければならない。東氏の『バブルがはじけても人が死ななきゃいい。』という発言は言い得て妙である。バブルがはじけるのを恐れて規制すればイノベーションは生まれない。小泉政権の自由主義が悪かったというより、セーフティネットの強化が甘かったのが問題であるという意見も。逆に民主党は規制し過ぎか。セーフティネットに関して、現在議論されているのが、べーシックインカムである。
ベーシックインカムとは、簡単に言うと、最低限所得保障の一種で、政府が全ての国民に対して毎月最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金(5-8万円程度)を無条件で支給するという構想である。
2010年2月26日金曜日
書評:『ブランド 価値の創造』
本書は、ブランド価値とは何かを明らかにしようとしている。ブランドのはじまりを問い直すことからはじめて、「ブランドという名前がどうして価値を持つようになるのか」のメカニズムに迫りその帰結を明らかにしている。
従来の考えでは、(1)消費者の欲望(ニーズ)がブランドを作るという考えと(2)マーケッターの思いがブランドを作る。という考え方がある。しかし、本書では、そのいずれでもない。消費者の欲望(ニーズ)なしに長期間売れ続けるブランドには成りえないが、企業側にブランドとして育てるという意志なしにブランドが生まれることはありえない。それに、新ブランドに投資する意思決定を考えると、必ずしも確かな基盤を持った意思決定ではない。ブランドの命名の際には、恣意性や偶然性が働くからである。そのような観点から、ブランドの今ある現実は、消費者の欲望にもメーカー側の思いにも、どちらにも還元しつくせない何かにあるという立場を取る。
その何かを理解するには、「創造的適応」という考え方が重要である。本書では、製品の分類を技術軸と使用機能軸のマトリクスで分類しているが、例えば、無印良品を考えれば、技術軸でも使用機能軸にも何か具体的な指示対象があるわけではないが、無印良品は存在している。それは、他のいかなる言葉へも代替が効かない「創造された意味」に他ならない。すなわち、ブランドの本質は、ブランドだけがそのブランドの現実を説明できる自己言及性のうちにある。
この創造された意味世界そのものを支える根拠が無くても、ブランドはそれなりの構造をつくり意味世界を持続させる。ブランドの構造は、以下の3段のピラミッドで表される。
(1)最上部に「ブランドアイデンティティ=普遍的統一性」がある。それは、包括性と差異性という要件を持つ。また、それは意図的に露出され得ないものである。
(2)中段に「コードとスタイル」があり、把握できないブランド価値を最下段の目に見えて触ることのできるブランドメディアにつなぐ役割をもつ。
(3)最下段に「可視的メディア」があり、ポジショニング、コンセプト、製品、広告テーマターゲットであり、コードやスタイルの具体的な表現形である。また、競争者が変わればポジショニングを変えたり、環境の変化にも対応する。
すなわち、ブランドは、その価値(コードやスタイル)に相応しい環境を選びつつ、それに適応する。その一方で、ブランドの核心部分のコードやスタイルも変更することでブランドとしての適応力を拡大する。これが創造的適応である。
こうした「創造的適応」は、非常にダイナミックな性格を持ち、ブランドは、名前が自立した後、使用機能・技術を横断するスタイルの記述名へ、スタイルを横断するフィロソフィの記述名へと展開し、複数のフィロソフィを横断する何かへと発展する。
このようなブランドの価値は、新たな世界をその領分に包摂するごとに、新しい価値が同時的に構成される性格を持ち、「ブランドの命がけの跳躍」として描かれている。
最終章では、そんなブランドがもたらす帰結が述べられている。識別効果と知名、理解効果、新しい消費欲望の生成は一般的なマーケティングのテキストで述べられているが、争点(選択ルール)選択効果は、独特な視点である。
それは、ブランドを選択することが、市場における買い物の選択ルールを選んでしまうということになるという効果である。例えば、高品質、多機能なテレビが発売されたとする。しかし、それを発売したメーカーが有名ブランドメーカーか、そうでないかによって消費者の選択は変わってくる。このことは、消費者が有名ブランドを選んだときには、そこから商品を選択する商品の代案集合、あるいは、その集合から選択するためのルール、つまり買い物のスタイルをも同時に選んでいるということになる。
また、争点効果は買い物の場だけに留まらない。消費者がメッセージ性豊かなブランドを選ぶとき、意識できなくても、自らのライフスタイルを変更する可能性を選んでいるというのである。このことは、ディドロ効果と表現されている。
そして、本書が示唆していることは、従来のマーケティングの枠組みは、価値通路モデル* の理解の上に成り立っていたために、静学的な理解に留まらざるを得なかったという反省と、マーケティングの現実を理解する上で、メディアとメッセージが交錯しあう中で歴史が切り開かれるという動態的な視点を持つことの重要性である。
*伝統的なコミュニケーションモデルを表し、発信者の意図するメッセージが確かなメディアを経て受信者に伝わるという一方向のモデルである。
2010年2月25日木曜日
トヨタのリコールに関して。
先程、トヨタ社長の公聴会と米国の社員に対してのスピーチを見た。涙ぐみながら社員に訴えかける様子を見て、個人的には誠意を感じられたのだが、世間で言われているように、対応が遅すぎたのが、ここまで問題を大きくしたのだろう。
不祥事に対する対応、企業の社会的責任に関して、経営学のテキストなどで耳タコなのが、ジョンソン&ジョンソン(J&J)のタイレノール事件である。
1982年、シカゴで、シアン化合物によって死亡した7人の市民が直前にタイレノールを服用していたことが発表された。タイレノールは当時、米国では国民薬と言われるほど普及しており、この発表により米国民は大きな不安に陥った。この時点では、タイレノールにシアン化合物混入の疑いがあるだけで、死亡原因かどうかは不明だった。
しかし、J&Jは、即対応した。当時の会長は、タイレノールを飲まないように警告を促し、製品を全回収に踏み切ったのである。加えて、メディアを通して、自社は、利益を第一に考えるのでなく、消費者の命を第一に考えていると訴え、新しい商品との引き換えも行った。この時の回収費用は、1億ドル以上とも言われている。迅速な対応の結果、半年後には、売り上げの90%を回復し、メディアにも賞賛され、現在もビジョナリーカンパニーとして存続している。
このような、迅速な対応を可能にしたのは、「消費者の命を守る」ことを謳ったOur Credo(我が信条)という経営理念(哲学)があり、全役員、全社員に徹底されていたため、緊急時対応方針を決めるのに時間がかからなかった。
トヨタもこの事例に倣うべきであった。米国のリコール問題は、米国の運転者の技術の問題、現地部品メーカーの品質、政治的なバッシングなど、受け入れ難いものだったのかもしれない。しかし、北米は重要なマーケットであり、J&Jのように迅速に対応し、誠意を見せれば、消費者からの信頼はより深くなり、長期的には利益になったはずである。
トヨタの理念を見てみると、「モノづくり、車づくりを通して、皆様とともに豊かな社会創りを」らしい。これを実践するための基本理念は、7つあるが、そのうちの1つに、「内外の法およびその精神を遵守し、オープンでフェアな企業活動を通じて国際社会から信頼される企業市民を目指す」とあるが、それらが、もっと具体的に表され、全社員の絶対的な行動指針になっていれば、対応は変わるはずである。
加えて、トヨタが迅速な対応を出来なかった背景として、米国法人に意思決定の権限が無かったことが挙げられていた。つまり、組織構造にも大きな問題があったということである。トップダウン型の組織構造からボトムアップ型の組織構造への転換が求められている時代に、全ての権限を本社に残し、米国法人をあたかも日本の支社のように扱っていたのだ。これでは、米国消費者に対して迅速な対応は困難である。
卒論でIntegrated Marketing Communication(IMC)の展望を書いた際にも、消費者との対話型コミュニケーション実現に、縦割りの組織構造は大きな問題点であったが、それと同じである。
このトヨタの事例に関しては、『ビジョナリーカンパニー』が示唆に富んでいる。この本では、100年単位にわたって利益を上げ続け成長している企業を調査し、その原則をまとめたものである。その1部を紹介すると以下のようなものがある。
- 利益を最大限に増やすことより、基本的価値観、理念の方が大切である。
- 基本的価値観は、内容そのものより一貫して実践されることに意味がある。
- 基本理念は変えずそれ以外の全てを巧みに変化させる。
トヨタがこの先、永続する「ビジョナリーカンパニー」になれるかどうかは、素晴らしい製品を生み出すこと以上に、基本的価値観、理念を大事にし、それ以外の全て(特に組織構造)を変化させることなのではないだろうか。